シビレビト発見伝

広島を拠点にグローバルに活躍。これまでにない技術を生み出すために

国内外で活躍。子育てが落ち着き、月2~3回家族と過ごす生活/和田義幸さん

千葉県流山市出身。マイクロソフトに入社し、日本・アメリカの両方で勤務した経験をもつ。
現在はツネイシホールディングス株式会社CIO(最高情報責任者)。
広島を拠点に、中国、フィリピン、東京、名古屋、大阪など、国内外を問わず頻繁に出張する生活を送る。
プライベートでは、二人の息子の父。妻子は東京在住。

【居住地の変遷】
千葉県出身。高校生まで流山市で過ごす

3社目で日本のマイクロソフトへ入社。
1年のうち約3か月はアメリカで過ごす生活に。
25歳ごろ、都内で一人暮らしを開始。

アメリカのマイクロソフトに移り、4年ほど働く。結婚し、子どもが産まれる

日本のマイクロソフトへ戻る。多摩ニュータウンに在住し、調布へ勤務。

常石造船の子会社に入社。
2010年にツネイシホールディングスに異動。
妻や子どもを東京に残し、広島県福山市へ。

広島県福山市。ここに建造量国内3位の造船会社を有するグループ企業がある。
東京、海外での就業経験を経て、現在ここツネイシホールディングスで情報システム部門の責任者として働く和田さんの、今に至るまでを紐解いた。

アメリカに移住し、仕事・プライベートともに充実した時間を過ごす

Q.今のキャリアに至るまでの経緯を教えてください。
千葉県で生まれ育った私は、よくある一般的な流れで東京の企業に就職しました。
キャリアアップのための転職をしたのち、3社目がマイクロソフトでした。
最初こそ実家から新宿まで通っていましたが、通勤利便性を重視して職場が笹塚に移動したのをきっかけに都内に引っ越し、東京在住者となりました。
マイクロソフトでは海外出張が多く、1年のうち3か月ぐらいは海外にいるような働き方をしていました。
そんな生活を何年か続けていたのですが、あるとき勝手に異動面接を受け渡米したのですが、そのときから、アメリカに居続けることになりました。
当時、私は27歳でした。

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Q.急に在米が決まったのですね! 不安はありませんでしたか?
興味のあるプロダクトがアメリカ本社にあり、異動後も出張者として開発に携わっていたのですが、セキュリティなどの関係から、アメリカ本社の社員には公開できるが出張者だと携われない部分がでてき、「これ以上開発を続けたいなら、社員になれ」といわれました。そもそも興味のある分野で、自分としてもその方が効率が良いと考え、受けることにしました。
インターナショナルのチームに属し、当たり前ですが会話はすべて英語。
メールも資料も英語で、通じない時にはホワイトボードを利用してコミュニケーションをとる、日本語を使うのは、日本人と話すときだけという日常でした。
最初は語学力が足りず苦労しましたが、これまでも出張ベースでアメリカ滞在をしていたので、すぐに慣れました。

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Q.日本との生活で大きく違ったことは?
ワシントン州シアトル近郊に住んだのですが、職場が近く、会社まで自転車で行ったり、バスも無料で乗れたりといろんな自由がアメリカにはあると感じました。
会社の福利厚生も手厚く、スポーツクラブに無料で行けたり、医療制度が充実していたりと、アメリカと日本で企業の考え方が大きく違うと実感しました。

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在米中に現在の妻と結婚し、現地で子どもが生まれました。
仕事は多忙でしたが、アメリカでは夕食を家族と一緒に食べるのが常識で、生まれたばかりの子どもと長い時間一緒に過ごせたのはとてもよかったです。
在米生活も4年になり、30代を迎えたとき、日本に帰ることを決めました。

元同僚との縁からツネイシホールディングスへ

Q.日本に帰るキッカケは?
そもそもビザが5年ということもあり、仕事のキリがいいところでビザの期限になる前に帰国することにしたのです。
そのときちょうど、日本でやりたいポジションの募集があったので、手を挙げました。
東京に戻り、やはり緑が近くにあり環境の良い多摩ニュータウンに住むようになりました。
日本では会社優先の生活になり、残業時間も増えました。

マイクロソフトにはOffice2007がリリースされる2007年まで在籍しました。

Q.その後のキャリアについて教えてください。
自分の今後のキャリアをどう描こうか。
そんなタイミングで、元同僚がツネイシの子会社の研究所を立ち上げ、仕事に関する相談を受けていました。

誰もサーバーを立ち上げられない

Web技術者はいるけどサーバーの技術者がいない。それは、自分にとっては当たり前の技術でやってきた仕事であり、ギャップを感じました。
彼の悩みを解決すべく、一緒に頭を使っていくうちに、「じゃあやるか」という流れになりました。

自分の人生で広島に行くなんて全く思っていませんでしたが、異業種も面白そうだと思い、力になることに決めました。

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Q.広島県福山市へ単身赴任で転職。苦労はありませんでしたか?
ツネイシのシステム環境を整える部門を任されていますが、中国地方はIT関連の技術が遅れている部分があります。
国内第3位の造船企業とはいえ、地元企業に頼ってばかりいると時代遅れになってしまうことがあります。
全国のベンダーを視野に入れて交渉し、安くてよりよいシステムを創っていく、ということをコツコツやっていく過程は大変でした。
でもその結果、今のコスト削減に繋がっています。
ひとつひとつの課題に向き合い、コミュニケーションをとり、システムを導入し、解決していく今の仕事に、面白みとやりがいを感じています。
「なにか問題があったら相談して」と言える状態までになりました。

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Q.暮らしについても教えてください。
福山での勤務は7年くらいになりました。会社の寮に住み、自分の席まで数えると400歩。
通勤時間がほぼないといってもいいでしょう。
ほかの人は車を使っていることが多いですね。満員電車がない環境にいるのは大きなメリットです。
都内だと、出社した時点で疲れている人も多いでしょうが、通勤に疲れないので、みんな朝から元気です。
福山で休日を過ごすときは、お寺を巡ることもあります。気持ちが晴れやかになるんですよ。
また、私はやらないのですが、釣りが好きな人にとっては天国のようですよ。

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休日でのひとコマ

Q.この先どんなことに取り組んでいきたいですか?
安全性の担保と、技術継承です。
ITというと必ず“生産性が”という方向にいくけど、工場や屋外で働く人たちの「安全性」を高めるために、なんとかしたいと考えています。
また、当社だけのことではないですが、長期的な視点で考えると「技術継承」をいかにするかについても、検討していきたいです。常石グループとしては、田舎に来るのを誇れるような、カッコイイ暮らしができるように、デザイン性の高い社員寮の整備や、会社で利用する作業着を作り替えたりなど、東京にはないものを提供するよう努めています。

海の近くに暮らすということは、当たり前だけど窓をみると海がある。これは、想像する以上にすごくよく、仕事に集中でき、ストレスも感じず働けます。

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すぐ近くに海がある環境。少し行くとこのような風景に出会える

Q.海外、東京、地方。さまざまな視点で転職を考えている人に向けてアドバイスをお願いします。
若いうちは挑戦するのが良いと思います。
当社は海外に行く機会も多いので、「地方で働きたい、でもグローバルに働きたい」という方にはかなり向いていると思います。
当社の話になってしまいますが、ここではやる気さえあれば東京よりも先に新しい知識や技術を取り入れていくことができます。
個人やチームで大きなプロダクトを動かすことも多いです。
面白くて魅力的な社員もたくさんいるので、いい出会いもたくさんあると思いますよ。
20代のうちであれば、手を挙げれば何でもやらせてもらえる風土があります。経営者育成研修、語学留学やビジネススクールの授業料を会社が負担することもあります。
日本では実現できないことでも、フィリピンでならできるかもしれない。ロボット研究や造船、環境、車など、事業も多岐に渡ります。

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今の時代、これから転職をするのであれば、都会ではなかなか任されきれない裁量がもてたり、視野を広げて挑戦できる環境を見つけ、やりきってみてほしいですね。

ツネイシホールディングスでは現在もエンジニアの募集をしています。
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