インタビュー

データ関連テクノロジーに精通したアーキテクトが仙台で選んだ2ndキャリア

メーカー系SIerから外資系スタートアップへ/桑島 義行さん

桑島 義行さん(39歳・男性・ファミリー)

宮城県出身。大学卒業後、地元仙台でメーカー系SIerに就職。26歳で首都圏に転勤し、データ関連テクノロジーに精通したアーキテクトとして数多くのデータ活用案件に従事。米国本社のデータ連携コンポーネントベンダーであるCData Software Inc.の日本法人を仙台市に立ち上げることを知り、38歳で転職。現在は、生活の拠点を仙台に移し、日本法人での技術サイドを統括するとともに、個人では、コミュニティやセミナーなどで、企業で扱うデータをもっと簡単に利用できるような技術や具現化方法の紹介を行っている。

【居住地の変遷】
宮城県で誕生。仙台で高校まで過ごす

山形大学理学部へ進学

地元仙台で国内メーカー系SIerに就職、4年後に首都圏へ転勤する

CData Software Japanに転職し、1年間の横浜―仙台のデュアルライフを経て仙台に移住する

ミレニアムイヤー直前、コンピュータとの出会いが今後の人生を決めた

Q.エンジニアになったキッカケを教えてください。
宮城県で生まれ、高校までは仙台で過ごしました。
大学は物理学に興味があったのと「現役で入れる・学費が安い(国公立大学)・独り暮らしができる(県外)」という条件がそろった山形大学理学部に進学しました。

大学生活は、高校から続けていた水泳部に所属しながら、勉強して遊んでバイトしてと、よくいる大学生のような日々を送っていました。
大学3年生になり、将来のこともボンヤリと考え始めたときに、研究室に設置していたワークステーションでコマンド叩きつつNetscapeという今では使われなくなったブラウザでインターネットの世界に飛び込みました。

研究室では原子核物理学という加速器を使った大掛かりな実験を行っていましたが、コンピュータの仕組みの方が気になり、当時はじまったばかりの国家資格シスアドも在学中に取得して「コンピュータの仕事に就きたい」と思うようになりました。

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物理学で使用する加速器のコントロールルームにて

Q.大学を卒業してから、どんなキャリアをつくりましたか?

◆地元仙台でメーカー系SIerに就職
大学を卒業するタイミングでメーカー系のSIerに就職しました。配属されたのが地元仙台の部署で、東北の地方銀行に融資やリスク管理のシステムの導入を担当してました。

今でこそ「フルスタック」という言葉もありますが当時はクラウドなんてものはなく、小さな案件が多かったのでハードウェアの調達からラッキング、ネットワーク構築、プログラム開発、運用後の保守や改修までシステム開発の一連の手順を覚えました。
この時期の経験があるから「誰にも負けないような専門知識やスキルと幅広い知識を持つT字型のスキル」の横線に相当する幅広い知識とスキルを身に着けることができ、その後のキャリアの大きな自信につながっていると感じます。

入社して4、5年が経ち、SEとして一人前の自信が持てるようになった半面、担当していた地方銀行のシステムは複数行が共同でシステムを利用する流れが加速して、個別開発が減少する先細りの不安も感じることが多くなり、転職を考えるようになりました。
転職を会社に申し出たところ、首都圏の別な部門でやってみないか、という打診をいただき、生活の拠点を首都圏に移すことに決めました。

◆27歳で首都圏へ。
海外で著名なデータ分析ソフトウェアを、金融機関向けに導入する専門部門の立ち上げに携わる

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前職でSEとしてシステム開発経験を積む

約1ヵ月の海外放浪のリフレッシュを経て、転勤後に就いたミッションは、当時は新しい考え方であった「ビジネスインテリジェンス」と呼ばれる企業内のデータを活用するソフトウェアを、銀行・証券・保険・ノンバンクといった金融機関に導入すること。
社内では製造業の顧客を中心に導入していましたが、外資系や国内大手の金融機関からの引き合いも増えてきていたので、私を含めた数人の金融系のシステム構築経験者を集めて、新しい専門組織を立ち上げることになったタイミングでした。

金融機関のシステム投資も、勘定系から情報系と呼ばれる、社内に蓄積したデータを経営に役立てるようなシステムへシフトしていた時代背景もあり、グローバルでTop3に入るような最先端なビジネスアナリティクスソフトウェアを他社に先駆けて次々と導入していたので「金融×ビジネスアナリティクス」といった分野では国内でトップランナーとして走っている自負もありました。
販売している海外製のソフトウェアはとても高価なものでしたが、同分野のプロジェクトを専門に行うメンバーで経験も積んていたのでインテグレーション力も高く「高くても価値のあるソリューション」を提供していると自負していました。

また、金融機関のミッションクリティカルな業務に導入することも多かったので、海外製のパッケージソフトウェアのエッジの効いた良いところを活かしつつ、システム品質を維持するスキルを身に着けることができたと思っています。
しかし、「ビッグデータ」という言葉がバズワードとしてとりあげられるようになり、競合他社が増え、新進気鋭で安価な新しいデータ分析ソフトウェアが雨後の筍のように出始めたころから苦戦を感じるようになり、時代が変わるのを肌で感じました。

37歳で決意した、地元仙台に新たな拠点をつくる外資系スタートアップ企業への転職

Q.国内大手SIerから外資系スタートアップへ。籍を移した理由は?
プライベートでは30歳の時に結婚し、その3年後に子どもができ、社内での昇進も早い方だったので、公私ともに「ある意味」では充実した日々を過ごせていたと思います。

「ある意味」とあえて言う理由は、エンジニアとしてのキャリアパスには葛藤があったからです。
管理職になるにつれて、コードを書くことはもちろん、アーキテクチャ設計といったエンジニア業務からは遠のいていきました。
担当していた案件も大きなものが多く、部下も十数人いたので仕方ないことなのですが、その名の通り「管理業務」を中心とした毎日を過ごしていました。

◆転職サイトで最新テクノロジーの情報収集。そのとき届いたメールが人生を変えた
自宅で趣味の範疇でOSSなどの新手のデータアナリティクス系のソフトウェアを試したりしていましたが、エンジニアとしての今後のキャリアパスについては日々悩むようになっていました。
今実際に使われている流行りのテクノロジーや案件の動向を知るために、複数の転職サービスに登録し、求人内容の閲覧や、自分が持つスキルセットの市場価値をチェックするのに使っていました。

ある日届いた転職サービスからのメールで「米データ連携ツール大手の日本オフィスの技術担当ディレクター募集(本社仙台)」というタイトルに目が留まりました。
“データ連携”“外資”“仙台”という自分のキーワードとマッチしたこともあり、代表と会って話をしてみたいと強く思い、すぐに連絡しました。

◆社長の言葉が自分を突き動かし、妻の言葉が決断を後押しした
2015年のクリスマスイブ、横浜の自宅近くの喫茶店で、日本法人の代表を務める疋田とお互いのバックグラウンドや「企業内のデータ活用の現状」、CData Softwareが持っているポテンシャルについて熱く語り合いました。
この時点で、既にワクワク感が止まらない状態でしたが、お正月休みに冷静になってじっくり考えようと思っていた矢先に、アメリカ本社の社長が年末年始に来日するので会えないか、と疋田から連絡があり、急きょ大晦日に会うことになりました。
大晦日、帰省中だった仙台の駅前のカフェでCDataアメリカ本社の社長から、自社プロダクトや会社のビジョンについての熱い想いを語られ、さらに

“俺は今でもコード書いているし、日々のバグトラッキングは全て必ずチェックしている”

と、エンジニアとして尊敬すべき言葉を聞かされ、私からも製品の試用版を実際に触ってみて感じたCData製品の可能性について話し合い、意気投合して入社することを決めました。
入社してから分かりましたが、コミットログをみて実装イメージが違うと、自分でコードを書き直したり、ちょくちょくコミットしていてビビります……。

私の性格はせっかちで、勢いだけで進めて失敗することもあるのを自覚しているので、大切な判断をする際には妻に相談してアドバイスをもらうようにしています。
そんな私の話を聞いてくれて

“そんなに楽しそうに話てくれるなんて、もう心は決まっているんでしょ、自分の気持ちにストレートに出した決断だと思うので応援するよ”

と決断の後押ししてくれたのは本当に感謝しています。

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主催するJapan WebAPI Communityでの登壇の様子

CData Software Japanのシビレる求人はこちら

先端のプロダクトを地方から国内(そしてASEAN)でシェアNO.1にする

CData Softwareでは、”See the World As Database” をミッションとして、企業で利用しているシステムやサービスの利用者がストレスフリーなシステム間データ連携を実現するソフトウェアプロダクトを開発し、全世界で販売しています。

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グローバル本社はアメリカ東海岸のノースカロライナ州のテクノロジー企業が集積するリサーチトライアングルにあり、欧州と中国にも開発オフィスがあります。
CData Softwareは、グローバルスタッフの9割超がエンジニア出身という技術集団でもあります。
その中でCData Software Japanは、仙台に拠点を置き、製品のローカライズや日本国内のお客様への製品の販売・サポートだけでなく、日本発のクラウドサービスやシステムとデータ連携できる製品の開発ディレクションも行っています。

現在は日本国内での活動となりますが、中国を除く(拠点があるため)他アジア・パシフィックの国々も視野に入れています。
私は日本法人の技術サイドの責任者として、プリセールス・担当製品の開発ディレクション・技術サポートを担当しています。

また、コミュニティやセミナーなどの活動を通して、コーポレートミッションである企業で扱うデータをもっと簡単に利用できるような技術や具現化方法の紹介を行っています。

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展示会でのひとコマ

Q.仙台での生活について教えてください。
現在、入社して1年が経ちました。
この3月までは家族が住む横浜と職場がある仙台でのデュアルライフを過ごしていましたが、この4月に家族も仙台に引っ越しました。
引越しのタイミングは、家族や職場のメンバーと会話して決めました。

上の子が小学校へ入学し、二人目の子が生まれて落ち着いたときで、良いタイミングだったと思います。
二人目の子が生まれるときは、横浜の自宅で在宅ワークしていました。
仙台オフィスや海外のメンバーとは、普段からチャットツールなどを多用していたこともあり、普段と変わらずフレキシブルな働き方が出来きました。

CData Softwareは、グローバルで家族を大切にする文化が根付いている、と強く感じています。メンバー全員がプロフェッショナルとして「在宅でもどこでも長期的に高いパフォーマンスを出し続けられる環境が一番」と思っているからでしょうか。
家族の協力と健康を失ってしまっては仕事でパフォーマンスを出し続けるのは難しいですからね。
また、メンバーが欧米・欧州・アジアと世界各国にまたがっているので、時差の関係でフレキシブルな働き方が求められるのもあります。

仙台に来てからは、子どもの登校と一緒に家を出て、オフィスまでは自転車で通勤しています。
帰りも特に予定がなければ、夕食の時間に間に合うように帰宅して、家族との会話が出来る時間を持てるように心がけています。

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「杜の都、仙台」新緑の季節の自転車通勤は最高に気持ちいい

首都圏より安い家賃で広い部屋となったことで仕事部屋もできたので、仕事量が多いときや海外メンバーと夜にコニュニケーションが必要なときには、リフレッシュした後に集中した環境でパフォーマンスを出せるようになりました。

首都圏には、お客様先・展示会・コニュニティ活動と、ほぼ毎週行っていますが連日でなければ基本日帰りです。
仙台⇔東京は片道1時間半で行き来できます。これは私が前職で数年間通っていた毎日の通勤時間と変わらないですからね。新幹線は座れますし、どこでもすぐに眠れる性格なので目を閉じたと思ったら一瞬で着いてます(笑)。
妻は横浜での生活も気に入っていたみたいですが、子育て環境や生活していく面では、仙台のほうがバランスよく感じています。

Q.事業を成長させるために、どんな人と働いていきたいですか?
グローバルでの経験が豊富で海外メンバーとのコミュニケーションに長けているメンバーや、私のようなデータ関連テクノロジーに強みを持っている、といった自分が得意なことが明確で、共通のゴールに向かい、自分に何ができるかを考え提案し実行できる人と一緒に働きたいです。

お互いがプロフェッショナルとしてリスペクトしあえるかどうか、それぞれの持っているスキルをシェアすることで成果を更に高いところに持っていけるか、が大事だと考えています。

CData Softwareは、チーム全員が自社のプロダクトに誇りをもっています。しかし、まだまだ世間的にはCData Softwareはもちろん、そのようなプロダクトが世の中にあるということもあまり知られていません。

私たちは日々、そのプロダクトをどうすれば皆さまに知ってもらえるか、使ってもらえるかを真剣に考えてさまざまな活動を行っています。

マーケットは限りなく広く、他にプレイヤーはいなく、優れたプロダクトを持っている、という状況で、あれもこれもやりたい状況であるので、私たちの価値観に共感いただける方とエキサイティングな日々を楽しみながら一緒に走りたいと思います。

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海外のメンバーとともに


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