インタビュー

時代の寵児と呼ばれたR25の創刊者が富山で築く「未来の働き方」

R25を創設、現在は富山と東京のデュアルライフ/藤井大輔さん

富山で生まれ育つ。大阪大経済学部を卒業後、リクルート入社。東京で「ゼクシィ」「ダ・ヴィンチ」などの雑誌編集に携わったのち、フリーマガジン「R25」を創刊。東京で新しいメディアの事業形態を築き、一躍時の人となった。40歳という節目の年に、富山で母親が営む介護事業の経営に携わりつつ、東京にも仕事と居住地をもつ、東京‐富山のデュアルライフを始めた。

【居住地の変遷】
富山市で誕生。高校までを過ごす

大阪の大学へ進学

リクルート入社、東京へ

現在、富山で介護事業に携わりながら、東京でメディア関連の仕事も行う

アポケアとやま専務取締役(富山)
富山経済新聞 編集局長(富山)
プリフィクス代表取締役(東京)
記事の編集、新規事業のアドバイザー、コンサルタント業務など

2000年代、新しいメディアのカタチをつくった

藤井大輔さんは現在、週の半分を東京、もう半分を富山で過ごす「デュアルライフ」を実践する。
東京に設けた個人事務所ではキャリアを生かしたメディア業務に携わり、富山では母親が営む介護事業の経営と相談援助業務を行いながら地元のコミュニティ活動にも積極的に参加する。
現在ふたつの拠点で異なる活動をする藤井さんの、これまでとこれからを探った。

Q.藤井さんは12年前、「R25」を創刊されたことで話題になりました。まずは東京での働き方を教えてください

富山で高校時代まで過ごし、関西の大学に進んだ後リクルートに入社し、社会人生活を東京でスタートしました。
当時の私は、地元じゃできない仕事をしたい、東京で働きたい、という想いが強く、富山に帰って就職する気持ちはまったくありませんでした。
リクルートでは、新人は営業に配属されることが多いのですが、私は編集部への配属でした。
会社の社風も編集の仕事もとても自分の性格に合っていて、とにかく仕事が楽しかったです。

2年目に結婚情報誌の「ゼクシィ」で担当した企画がヒットしました。「結婚式のBGM特集」、自分が好きな音楽分野の記事でした。
記事をつくるだけに飽き足らず、レコード会社に「ゼクシィでアルバムをつくらない?」と売り込み、オムニバス・コンピレーションアルバムを4社から出すことになりました。
当時は結婚式場が流す曲を決めていたのですが、新郎新婦が好きな選曲をするようになっていき、結婚式の在り方が変わっていくのを感じました。

「R25」の創刊は、31歳のときでした。
私の考え方は常にカスタマー・ファーストで、世の中の「不」に向き合い、自分ができることをしていく。それが「R25」につながりました。

創刊時には、東京都内でかなり話題になりました。
読者から「頭のなかを覗かれているようだった」「まさに知りたい情報ばかりだった」という声をいただき、カスタマーに評価されているという実感を持ちました。

挑戦の舞台は、社内ではなく地元で

Q.駆け抜けた20代・30代。そこから、今の働き方に至った理由やキッカケは?

R25創刊から10年。年次を重ねるなかで、カスタマー側だけではなく事業をつくりだす能力を磨かなければいけないと思うようになってきました。
ただ、私の本領はやはり、コンテンツ。数字を見たり社内の人事を考えたりすることは、できなくはないけど、心からワクワクできていない。でも、必要だと思って努力してやっていました。

40歳の節目を迎えたとき、リクルートで何をやっていくかを考えました。
挑戦するとしたら、3分野のいずれか。

グローバルか、ITか、社会事業か。

グローバルは日本の課題から逃げているように感じたので違う、ITは紙のコンテンツから流通を置き換えている時期なので挑戦するタイミングではないな、と。
そうなると社会事業ですが、リクルートという会社の性質上、たぶん限界がある分野。
だったら、自分でやったらいいんじゃないか、と思いました。

ちょうど母親が富山で会社を興し、介護事業を始めていました。
社会事業で、しかも地方。40歳はきっとラストチャンスになるから、そこにあえて挑戦するのはアリだと思いました。

藤井さんが専務取締役を務めるアポケアとやま

「介護」と「メディア」という異分野をつなげていきたい

Q.具体的にはどんな生活をしていますか?

東京でメディア事業に携わりながら富山では家業の介護事業に携わるという二足のわらじで、東京と富山のデュアルライフを送っています。
火水木を富山で過ごし、金曜日から週末を挟んだ月曜日までを東京で過ごしています。妻と子どもは東京にいるので、家族は東京で暮らしています。

富山の介護事業では、いわゆる高齢者や生活困窮者への相談援助業務に携わっています。地元の子ども向けに認知症に関するセミナーを開いたりもします。
最初は東京と富山というふたつの拠点をもつ働き方は、地元の人に受け入れられないようにも感じましたが、3年続けた今、少しずつ認めてもらえるようになっている気がします。

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子どもたちに向けた認知症に関するセミナーの様子

富山と東京という離れた点と点、そして介護とメディアという、これも分野の離れた点と点。
デュアルライフを始めた当初は、はるか遠く離れた点と点に感じていましたが、徐々に近づいてきたように感じています。

たとえば地方の介護の現場を知っていながら、制度を決定する中央ともつながれるので、法改正について現場に則った意見ができたり、最近では東京で介護に関する講演をしたり、メディアで情報発信をすることも増えています。

そうやって、離れた点と点を結んでいく作業を実践していきたいと思っています。

Q.藤井さんの、これからは?

デュアルライフは、今私に求められていることや期待されていることが、東京と富山にそれぞれあるからやっていることで、これから続けていくかはわからないです。
富山では、より深く地元に向き合っていければよいかなと思っています。

ちょうど来年度、自治体の総合計画を考える会の審議委員に委嘱されたので、自治体の政策と地域課題とのマッチングを中心に、アイデアを出していきたいです。
安心・安全なまちにしていかなければと思っている地域の人たちがたくさんいるので、その方たちの自主的な力を引き出して、住民のエンパワーメントによる町づくりに関わっていきたいですね。

そうしていくうちに、富山で求められていることが多くなって、もしかすると富山で過ごす比率が高まったり、完全に一拠点になるかもしれません。
でも私のスタンスとしては、「こうしたい」と思うよりも、自分が周囲から期待される方向に進んでいくことです。
目の前にいる人に価値を返し続けていれば、きっとよりよい未来がつくれる。

日々生活をしていく中に散らばっている“課題”というコンテンツを集めて、次の未来をつくっていきたい。
富山で、自分にしかできないことを続けていければと思っています。

富山県に移住し、働く魅力を知ってもらうイベント開催

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※イベントは終了しました。