インタビュー

企業と対等な存在になれ。Ruby開発者・まつもとゆきひろが考えるエンジニアのキャリア戦略

株式会社ネットワーク応用通信研究所

世界で使われるプログラミング言語「Ruby」の生みの親であるまつもとゆきひろ(通称:Matz)が住むのは、シリコンバレーでも東京でもなく、島根県松江市です。しかも、所属しているのは50人規模のIT企業・ネットワーク応用通信研究所。世界に影響を与える言語を開発した技術者の選択の背景に迫ります。
※本記事はPR Tableで掲載された内容を転載したものです

エンジニアファースト。Ruby開発者・まつもとゆきひろが歩んだ道のり

島根県松江市。人口70万人を割ったことがニュースで取りざたされ、自虐ネタも話題になるこの県に、世界中で使われるWebプログラミング言語「Ruby」開発者のまつもとゆきひろ(通称:Matz)は住んでいます。

Rubyの父と呼ばれ、世界中からRubyエンジニアが集まる「RubyWorld Conference」が島根県で開催されるようになったのも、まつもとが島根県に在住しているから。

まつもと 「とにかく東京には住みたくないという思いがありました。大学卒業後、働いてきたのは、いずれも地方。東京で、人生のかなりの割合を通勤とか意味のない業務に削り取られるのはごめんだと思っていました」

現にまつもとは、筑波大学を卒業後、静岡県浜松市にあるソフトハウス(ソフトウェア開発企業)に新卒で入社。4年間務めたこの企業では、社内システムを担当する傍ら、趣味で開発もしていました。

時は、バブル崩壊後。会社の経営状況が変わる中で、まつもとは名古屋のトヨタの関連企業へ転職を決めます。彼はそこで、部品や開発工程を管理する部門に配属され、オブジェクト指向データベースをつかったプロトタイプの作成や部品管理、工程管理の試作品の作成をしていました。

そのとき、趣味で開発していたのが、今や世界で使われるプログラミング言語になったRuby。単独で開発していたRubyは、名古屋の地でリリースされます。ここから「Ruby開発者・まつもとゆきひろ」としての人生が始まります。

そのころ、ちょうど会社の方針が変わり、東京に配置転換が決まりました。その転勤要請をまつもとは拒否、チームでひとり名古屋に残ります。

まつもと「よそのチームの横に机を置かせてもらって開発していました。週に一回東京にいって打ち合わせするというような働き方でした。それぐらい、東京に住むのは非効率でイヤだった。でも、とはいえ居心地はよくない。プロジェクトがひと段落したところで、どうしようかと考えたときに、ネットワーク応用通信研究所から誘いがあったので、ジョインすることにしたんです」

エリアに対しての抵抗はほぼなく、検討していたのはすべて地方。なかでも島根県には、東京じゃないところでフリーソフトウェア技術者として仕事ができる土壌がありました。

そもそもまつもとは島根県のお隣、鳥取県出身で多少のゆかりがあること、そして知り合いが起業した会社という気楽さもあり、必然のような気持ちで決めました。

まつもとゆきひろ、当時、32歳のことでした。

島根県とネットワーク応用通信研究所の“イイ関係”

nacl2

ネットワーク応用通信研究所の外観

まつもとが1997年にジョインしたネットワーク応用通信研究所(以下、NaCl)はどんな会社なのか。それを知るにはまず、当時のことを振り返ってみましょう。

オープンソースソフトウェア(OSS)であるLinuxが日本に入ってきた1990年代前半、Linuxを取り扱う任意団体「日本リヌックス協会」は島根県松江市にありました。

OSSはソースコードが入手可能で再頒布でき、ソースコードにより派生製品の製作が可能。ボランティアで集まった松江の技術者を中心に“Linuxをビジネスにしたい”という動きが強まったとき、まつもとは遠い知り合いがこの動きにかかわっていることを知ります。

まつもと 「NaClの前身が松江市で立ち上がったのは1997年。私は同年8月にジョインしました。ビジネスのための会社ではなく、エンジニアがエンジニアのための集団として設立した会社で、自分たちにとって働きやすい環境とはどういうものか、という観点で社内ルールなどをつくってきました。
1998年にオープンソースでの開発を始め、ソフトウェア開発に強い企業として実績を伸ばしてきました。OSSやLinux業界で、開始当初から20年間続いた企業は、ほかにほぼありません」

まつもとは設立以来“従業員代表”として会社のルール決めや業務規程の決定にも携わってきました。「エンジニアのためにならないことはやらない」というポリシーで、裁量労働制、開発体制、勉強会について、エンジニアが満足できる環境を整えられるように努力してきたのです。

まつもと 「納期前や、予想外の事態が起きてツライことはあったとしても、裁量をもって働ける環境づくりをしてきました。会社のための理不尽なルールを入れるのは効率的ではないと考え、管理のための管理をしないようにしています」

NaClの主軸事業は受託開発ですが、オープンソースやRubyに強いところを期待する企業からお声がかかることが多くあります。たとえば、日本医師会の研究事業である「ORCAプロジェクト」に立ち上げ時から参加しているのも、そのうちのひとつです。

たとえばOSはLinuxで、DBをPostgreSQLで、ビジネスロジックもモニターもオープンソース……と、上から下までオープンソースを使って開発。オープンソースを利用すれば特定のベンダーに依存しないため、継続的な開発が可能となります。

さらに島根県の公式ホームページの開発にも、オープンソースが役立っています。

まつもと 「島根県が情報発信するためのコンテンツマネジメントシステムをつくりたいという要望があったのですが、アクセシビリティの観点で既存のものが使えず、CMS(コンテンツマネジメントシステム)を自作する必要がありました。
さまざまなハンディキャップをもった人たちにも対応するツールを盛り込んだCMSは、島根県のものだけにするメリットはなかったため、オープンソース化し『島根県CMS』という名前でいくつかの自治体にも展開しました。開発して何年もたちますが、いまだにアクセシビリティの高いCMSとして評価されています」

かくして島根県は、Rubyやオープンソースを軸にしたIT県としての一歩を踏み出したのです。

オープンソースで汎用性をあげる! Web開発企業のこれから

nacl3

ネットワーク応用通信研究所のオフィス内

まつもとはNaClでフェローという立場になり、業務命令を受けないポジションで、Ruby開発に時間を割きながら自分でするべきことを決めて業務を執行します。

まつもと 「以前の企業では、誰かがこうあるべきというソフトをつくっていましたが、現在(2017年)はOSSを使い、自分が“こうあるべき”と開発すべきものを決めて開発しています。特に私の場合は自分がRubyのプロダクトオーナーで、そこは責任をもって、と」

NaClの元には、全国からOSS開発に関心のあるITエンジニアも集まってきます。ただし、OSSをつくることそのものが会社の事業ではなく、事業の柱はお客様のためのシステムをつくること。NaClが他社と違うのは、単なる受託開発に終わらずお客様のために開発したものでも競争力の源泉にならない場合はオープンソース化することを推奨しているところです。

前述した日本医師会のORCAや島根県CMSもこの例にあたります。汎用性の高いシステムであれば、オープンソース化して広く利用されれば、新しい製品が生まれ、より精度の高いシステムになっていくことも可能です。

まつもと 「島根県松江市では2006年以来、Rubyを中心に産業振興を進めてきていて、他の会社にもRuby技術者がふえています。ただ、人口が少ないところでITエンジニアの絶対数が少ないという課題はありますね」

松江市では中高生からのRuby教育なども県の事業として行われていますが、即戦力になるにはかなりの時間が必要です。大きい都市にいくとエンジニアの層も厚くなることが期待できるけど、もとが小さい土地なのでそこが課題であり、チャレンジのしどころです。

まつもと「20年前の紙媒体が主な情報源の時代と違い、インターネットが普及したことで、土地によるハンディキャップはほぼなくなりました。松江でも会社の組織をこえた勉強会やコミュニティ活動などが頻繁に開催されていて、私自身も月に2回開催される『matsue.rb』に関わり、Rubyの技術の浸透に役立てています」

まつもとが開発したRubyを軸に、オープンソースを柱とした地域産業振興をてがける島根県には、この10年(2007〜2017年)でIT企業が30社以上も増えました。横のつながりも厚い島根県内のIT企業で、OSS開発に関心あるエンジニアが外から門戸を叩いてくれることが、ソフトウェア開発全体の底上げにつながっていくでしょう。

自分にしかないキャリアを磨け! エンジニアの未来のために

nacl4

プログラミング言語Rubyの誕生以来、OSS開発をけん引してきたまつもと。これからのエンジニアに必要な考え方やスキルセットを、どのように考えているのでしょうか?

まつもと 「単純な受託開発は、今後先細る一方だと思います。すべての産業がIT化する中で、ソフトウェア開発を単純にアウトソースすることは、自社の根幹部分をアウトソースすることになってしまい、将来的な資産を放出することになるからです。単に受託開発をするだけじゃなく、そこから一歩踏み込んだ形で企業と一緒に開発をしていく。企業と伴走できるような、ある種のコンサルタントのような立場を目指すこともひとつの方法かもしれません」

NaClに入社する以前の会社はいずれもそこそこの規模の企業で、トップとはやはり距離がありました。まつもとにとって今の会社は、設立当初から関わっていて、こうあるべきだと自分の意志を持ってコミットもできます。いわば、エンジニアであるまつもとにとってとても働きやすい環境です。

まつもと 「エンジニアには戦略感をもってキャリアパスを描いてほしいですね。需給を考えるとき、求人サイトで募集数が多い技術を選択する、という人も多いですが、自分に必要な仕事はひとつでいいのです。募集数が多い、エンジニアが多い技術は、それだけ競争も激しいです。そうすると、“自分をいかに差別化できるか、自分の価値をあげるか”が勝負のしどころなんじゃないかなと思います」

会社に勤めていると、若いうちは“技術も分からずただ予算管理だけをする人が偉い”という風潮になりがちで、年齢を重ねて昇進を受け入れて、係長、部長とポジションが上がると「昔はプログラミングしていたんだけどね」という状況になりがちです。

まつもとが目指すのは、日本の典型的なキャリアパスから脱却したキャリアのカタチ。ソフトウェアエンジニアとして進んでいくのであれば、生産性をいかに向上できるか、より大きなバリューを提供できるポジションを用意し、そこに進んでいけることが必要だと考えます。

まつもと 「人によって目指す形は異なりますが、プロジェクトマネジャーではなく『プロダクトマネジャー」を目指す、テクノロジーをリードする、問題を解決するためのプロダクトをつくる『プロダクトオーナー』を目指す、企業の中で技術の立場でTOPになる『CTO』を目指すーーなど、技術に関する知識や問題解決能力、自分で手を動かすことを目指せるポジションがもっと増えてほしいですね」

現にまつもとは、「プロダクトオーナー」であったり、いくつかの企業に対して技術を提供する「技術顧問」という肩書をもち、技術畑で勝負を続けています。

この先、どういうプロダクトで世の中を変えていくかーーより技術に立脚した判断が大事になってきます。技術に立脚した判断をして、プロダクトを設計したり、サービスをデザインしたり、最終的にプロダクトによって世界を変えていく人たちがもっとたくさん必要ですし、そういう人たちがプログラムを知らないひとに右往左往させられる時代は変わるべきだと考えているのです。

まつもと 「自分の人生を企業や会社に任せるのではなく、人生において自分らしく。企業もふくめて対等な存在でエンジニアには活躍してほしいです。会社から仕事をもらい、給料を“いただいている”という気持ちではなく“働いてやってる”と心の中で思っておいたほうが、態度のバランスもとれると思います。そういうマインドの人も、NaClでは活躍できます」

まつもとが目指すエンジニアのあるべきカタチをともに体現していきたい「未来のMatz」をネットワーク応用通信研究所は求めています。

Text by PR Table