インタビュー

オンラインゲーム業界の“伝説”と呼ばれた男が、“人間”として選択した働き方

株式会社モノビット

世界初のJavaアプレットを用いたMMORPG(※)の制作など、数々のヒットゲームを生み出してきた中嶋謙互(なかじまけんご)は、この業界屈指のトップランナーです。モノビット代表の本城は5年に渡り彼をスカウトし続け、2016年についにCTOに就任。富山で開発を行う彼の選択には、これまでのプログラマー人生が大きく影響しています。
(※)大規模多人数同時参加型オンラインロールプレイングゲーム
※本記事はPR Tableで掲載された内容を一部修正・転載したものです

5歳からゲームを改造。お小遣いをすべてゲームとPCにつぎ込んだ少年時代

世の中が「Apple2」の登場に衝撃を受け、盛り上がっていた1977年――。

中嶋は当時3歳でしたが、父親が購入したApple2のインベーダーゲームに熱狂しました。一時的にハマっただけではありません。ゲームをし続けるうちに「敵の弾をもっと増やせないか」と思った彼は、5歳にしてゲームの改造を試みるのです。

英語で書かれたユーザーマニュアルを見ながら、一つひとつコマンドを試していくという作業。当然うまくいきませんが、諦めずに挑戦し続け、8歳で弾を増やすことに成功しました。
その後も、小中学生時代に「FM-8」や「MSX」といったパソコンを使い、BASIC言語でゲームを作るようになったのです。
本格的にプログラミングへの道に踏み出したのは、中学2年生のときのこと。

中嶋 「お年玉をつぎこんで、親にも援助してもらって『X68000』を買いました。すごくクオリティが高いマシンだったので、周りの友達にも薦めて結局4人くらい買ったんですよ。25万円くらいしたので、今考えたらすごいですね(笑)。それを使ってみんなでゲームを作りました。
当時やっていたのは、スーパーマリオやドラクエなどの“移植”。アセンブリ言語で書かれているファミコンのゲームを、X68000のBASICでできる限り再現しようとしたんです。近所の友達がドット絵を描けるPhotoshopみたいなソフトも作ってくれました。でも、結局BASICだと速度が出なくてダメだったんです。
それで、中3のときにC言語を覚えました。C言語のコンパイラって今は無料ですが、当時は4~5万円したのでそれも貯金して買ったんです。C言語はめっちゃ早くて、感動しましたね」

高校生になると、プログラミングで報酬を得たり、起業を試みたりしたこともありました。

中嶋 「塾のアルバイトをしていたとき、英単語が勉強できるアプリを作ってお金をもらいました。1万円でしたけど(笑)、評判はよかったです。あとは、夏休み中にアメリカ人ふたりを含む友達4人で、一緒にゲームを作って売ろうしたことがあります」

テーマは古代ギリシアのペロポネソス戦争。原案も悪くなく、中嶋はすでにゲーム作りの経験があったので、技術的にも可能なはずでした。しかし、1ヶ月で計画が頓挫してしまいます。

中嶋 「どうしても誰かがサボりはじめてしまうんですよ(笑)。ゲーム作るパソコンってゲームができるから、遊びはじめちゃうんですよね。あと、企画を考えた人とプログラミングをする人が別だったのもよくなかった。そういう体制はプロでも難しいです。ふたりでやっていたら、たぶん完成したと思います」

人生を変えたふたりとの出会い。エンジニアとしてのキャリアがはじまる

高校のときから「京大マイコンクラブ」(以下、KMC)というサークルに出入りしていた中嶋。
KMCでプログラミングをしたいがために、京都大学を受験します。KMCは、当時では珍しく常時接続のインターネット環境と豊富な設備があり、中嶋にとって魅力的な場所だったのです。

中嶋 「プログラミングに熱中して勉強はあまりしていなかったので、一浪して1994年に入学しました。
入学後は、KMCでプログラミングをやっていたのが半分。残り半分はバンドを掛け持ちしてドラムを叩いていました(笑)。在学中に執筆活動や起業もしたので授業に出られなくて、3回留年しています。
大学時代はとにかくゲームをたくさん作って、部員に感想を聞いたり要望に合わせて難易度を上げたりしていました。そのゲームにハマりすぎて、生活に支障をきたした部員もいましたね(笑)」

KMCでは、その後の人生を決定づけた人たちとの出会いが――。

中嶋 「KMCは当時全盛期で、学生とは思えないようなすごい人がたくさんいました。なかでも重要な出会いだったと思う人がふたり。
学生時代からゲームプログラマーだった中西さんという人は、大阪のゲーム開発のアルバイト(日本システムサプライ)を紹介してくれました。その紹介があったから、僕はゲーム業界に入れたんです。
スキル面では、UNIX(ユニックス)と通信のスペシャリストだった中野さんですね。彼にUNIXシステムの重要なことをたくさん教えてもらいました」

ゲームとUNIX――。このふたつは、まさに中嶋が名を馳せた“オンラインゲームのシステム”を構成する大きな要素です。彼は、自身のキャリアを築く上で重要な人物ふたりに同時期で出会っていました。
日本システムサプライのアルバイト時代に作ったゲームのなかには、世に出なかったものも数多くあります。

しかし、1996年――。世界初のJavaベースのMMORPG、「LIFESTORM(ライフストーム)」もここで生まれました。

起業、そして解散――。社長時代の経験から、技術に専念する働き方を選ぶ

LIFESTORMの開発をきっかけに出資の声がかかり、起業することにした中嶋。2000年に東京に出て、コミュニティエンジン株式会社を立ち上げました。オンラインゲーム用ミドルウェアVCEや、箱庭MMOG“gumonji”などでゲーム業界に足跡を残していきます。

しかし、次第にプログラミングと社長業の両立は難しくなっていきました。

中嶋 「中国に子会社を作ったり、社員を40人ほど雇ったりしていたんですが、今思えば、能力を超えたことをやってしまいました。
僕は案件を受注してプロジェクトを立ち上げることは比較的得意だったと思います。でも、そういう仕事をしていると、プログラミングにまで手が回らなくなってしまうんですよね。2005年頃からは社長業に専念したんですが、その後、開発の品質が低下してしまいました。
当時は人を育てるのにどれくらいの時間がかかるのかとか、どうすれば早く育つのかもわからなかったんですね。今は、この業界で人を育てるに5年はかかると思っています」

中嶋が社長業に専念することによる技術力低下。そして、大型案件が一度に複数なくなってしまうなど苦しい状況が訪れます。そして、2010年にコミュニティエンジンの解散が決定。
起業した会社が終わりを迎えたこの時期は、中嶋のエンジニア人生で最もハードなものでした。この経験を経て、彼は技術に専念していくことを決めたのです。

4人のパパとして、技術者として。働き方の自由度が高いモノビットへ

2017年現在、中嶋はモノビットでただひとり富山県在住。実は、彼には9歳、6歳、4歳、1歳の二男二女のパパという顔もあります。

中嶋 「我が家は共働きなんですが、東京で子どもたち全員を保育園に入れるのは難しかったんです。2014年頃に妻の実家がある富山県に逃げてきて(笑)、今は自宅で仕事をしています。
東京時代は、21時に家に帰れれば早いほうだったんですが、今は小学校や幼稚園の行事にも参加できますし、子どもたちと一緒の時間が相当増えました。
小4の長男が最近『ゲームを作りたい』と言い出したので、一緒にドット絵を描いたりUnityの本を買ってきたりもしています。下の子たち、特に4歳児に邪魔されちゃってなかなかうまくいかないですけどね(笑)」

仕事が手いっぱいだったことに加えて、富山に住んでいるため本城の誘いを断ってきた中嶋。しかし、状況が変わります。2016年、当時参加していたシンラ・テクノロジー社が解散することになったのです。
そこで改めてモノビットの話をよく聞いてみると、遠隔地での業務も可能ではないかと思うようになりました。

中嶋 「富山にいると対面でエンジニアのフォローができませんから、CTOをやるのは難しいと思っていました。でも、求められていたのはVR向けミドルウェア製品をクラウドの環境に合わせて一新する開発を担うという役割。技術に特化した仕事なら、遠隔でも可能だと思い引き受けました。
働き方の自由度が高いことはモノビットの大きな魅力です。さすがに、かなり熟練した人でないと最初からひとりだけで開発を行うのは難しいと思いますが、高知、宮崎で働いているエンジニアもいます。それぞれマネージャーがいるので、そこで働くことは十分可能です。
遠隔地でも問題なく働くために、ビデオ会議はもちろん、GitHubを使ってコード差分のレビューを行ったり、AWS(Amazon Web Services)のサーバを使ったテストをしたり、クラウドビルド環境を整えたり、といったことをしています。新しいやり方やツールはどんどん取り入れていますね」

モノビットは、神戸本社、東京支社以外の遠隔地で働くことにも柔軟に対応しています。エンジニアたちはchatwork、Googleドキュメントといったツールも適宜活用していますし、今後もより便利なものがあれば導入していく予定です。スキルがあれば場所にこだわらず働くことができます。

また、2017年8月からモノビットに蛭田(ひるた)健司が加わり、ダブルCTO体制に。さらにエンジニアにとって快適な環境を生み出しています。

中嶋 「蛭田はエンジニアとコミュニケーションをとることが大好き。だから、彼は人と関わることを中心に動いているんですね。
そのぶん、僕は社員の書くプログラムを毎日見たり、設計に問題がないかとことんチェックしたり、といった技術面に集中しています。うまく分業できていて、すごくバランスのいい状態だと思いますよ」

VRのプロジェクトが増えているなか、モノビットは常にエンジニアとのいい出会いを求めています。リアルタイムゲームの開発の難易度は高いと言われていますが、どういうエンジニアが“伸びる”のか――。中嶋はこう考えています。

中嶋 「自分がベストだと思うやり方があっても、一旦それは置いておいて人の提案を受け入れられる人は伸びると思います。“謙虚さ”があったほうがいいですね。
僕にも今まで自分が専門にしていた分野があるんですが、それにこだわらず、積極的に新しいことに挑戦するようにしています。ベテランほど昔の実績に縛られてプライドが高くなりがちなところがあるので、気をつけたいですね。
また、僕自身が作りたいと思うゲームはまだ完成していないんです。いつ完成するのかわかりませんが、自分の手でゲームを作る、プログラミングをするということは続けていくと思います」

彼自身も謙虚であることを心がけ、ゲームへの情熱を持ち続けています。
きっと、今後も世界を驚かせるゲームが彼の手によって生まれていくはずです。

Text by PR Table