インタビュー

やらなければ可能性はゼロ。新規事業立ち上げの裏側でひらかれた個性

株式会社エニセンス

栄枯盛衰の激しいIT業界ーー。2014年10月、株式会社エニセンスは大きく舵をきりました。新規事業アプリ事業の誕生です。どう開発していたのか、当時のスタッフはどのような想いだったのか、エニセンスの開発の裏側からお届けします。
※本記事はPR Tableで掲載された内容を一部修正・転載したものです

「できない」を理由にしない——新規事業への挑戦

アプリエンジニア・鐘ヶ江耕治(写真左)と、プロデューサー・能島章典(写真右)

アプリエンジニア・鐘ヶ江耕治(写真左)と、プロデューサー・能島章典(写真右)

2014年10月、WEB制作・運用が中心のクライアントワーク事業と自社サービスが混在していたエニセンスでは、クライアントワーク事業を停止し、自社サービス開発に集中することにしました。

新規アプリ事業の立ち上げに伴いアプリを量産するために、スタッフに課せられたのはアプリ開発特訓期間ーー通称“タンタンタン”時代。

“タンタンタン”とは…
・“単”機能で長期的に使われるアプリ
・“短”期間で完成形を作り、次々リリース
・“多”年代にアプリを最適化する

『2週間でひとつのアプリを作る』というミッションのもと、1チームにつきプロデューサー・デザイナー・エンジニア計3名のチームで約3か月間アプリ開発に励みます。

世の中のニーズに最速で応えるため、常にスピード重視でPDCAをまわすために下記のルールを設けました。

・開発に時間のかかるゲームは作らない
・Androidアプリのみ制作(当時のiOS審査は1ヶ月くらいかかっていました)

「ユーザーの利用シーンが浮かぶか」、「本気で面白いか」、「差別化ができているか」を企画の軸に、余計な機能を備えず、極力シンプルなアプリを開発することに注力しました。

アプリリリース経験者はゼロ——新規アプリ事業の立ち上げの裏側

2014年アプリ開発当時のチームメンバ

2014年アプリ開発当時のチームメンバ

アプリ事業立ち上げ時に入社したプロデューサーの能島章典、アプリエンジニアの鐘ヶ江耕治は、2017年現在、エニセンスの中核を担う人材です。福岡県がデジタルハリウッドで開講していた『Android養成講座』にて技術を学び、エニセンスに入社。入社時期は同じですが、それぞれ出逢いはもっと前でした。

能島「僕は2013年からデジタルハリウッドの生徒でした。エニセンスが立ち上げていたクラウドファンディングサービスを応援していたことがきっかけですね。その後、Android養成講座のティーチングアシスタントをやっている時に声をかけてもらって、正式に入社しました」

鐘ヶ江「自分も2012年に同じAndroid養成講座を受講していて、インターン先がエニセンスでした。その後1年半ほど他社に勤務後、エニセンスに入社することになったんです」

当時の福岡では、アプリを開発している会社はほとんどなく、ふたりとも「面白そうなことをやっていたから」と引き込まれて入社を決意します。

しかしその頃のエニセンスには誰ひとりアプリのリリース経験があるエンジニアはおらず……。メンバーに課せられたのはアプリ開発特訓でした。

鐘ヶ江「皆楽しみながら2週間で作ってましたね。中には2週間で作れない企画もあったので機能をスリムにしつつ。でもひとり1個、企画のアイデアを持ち寄るのは結構きつかったです」

能島「事件といえば、学生チームが期日5日前に間に合わないことが発覚して……。ちょうど東京で社員研修の前日でした。東京のホテルで他チームメンバーも手伝ったりして夜な夜な作りましたね」

無謀にも思われる事業計画ですが、ふたりにとって不安はなく、『面白い事をやる』ワクワク感しかありませんでした。

能島「スピードと質のバランスは大事ですが、黎明期なので特にスピード感を失わないように意識していました。ユーザーから質を比較されるためにはサービスが世に出ている必要があります。だからまず土俵に立つにはスピード感を重視していました」

駆け抜けた3ヶ月——失敗からの学んだこと

約3ヶ月でリリースしたアプリは40-50本!

約3ヶ月でリリースしたアプリは40-50本!

約3ヶ月間のトレーニング期間を経て、制作したアプリは未リリースも含め合計で約60本。リリース1ヶ月後に1万ダウンロードに到達することをKPI(Key Performance Indicator重要業績評価指標)と設定し、チームメンバーは開発に没頭していました。

……しかし、そう簡単に達成できるはずもなく、最高で8,000ダウンロードが限界でした。掲げた目標を達成できなかったことで、自信をなくすことはなかったのでしょうか。

鐘ヶ江「世には成功体験が溢れていますが、それらはいきなり成功したわけではなくその裏でたくさんの失敗の積み重ねがあって辿りついたと思っています。『失敗は種』という言葉にもあるように大事なのは失敗を受け入れ、改善を繰り返すことであり、決して諦めずに種を成長させることです。あとはその成長スピードをいかに短くするかですね」

最大の失敗は挑戦しないこと。失敗からの学びを次に活かすことが大事だと特訓期間を生き抜いたふたりはそう語ります。チーム一丸となって一連のスピード開発スキルを習得できたことは大きな収獲であり、多くの学びがありました。

そしてサービスを生み出すことから成長させマネタイズするフェーズへ向おうとしていた頃、能島はある決意をしていました。エンジニアからプロデューサーへの転向を代表に申し出たのです。

能島「当時のアプリ事業部は、エンジニアの言い分 = サービスの限界でした。エンジニアができないと言ったらエニセンスでは生み出せないサービスになっていたんです。こんなレベルでは競合に勝てないと思いましたし、いずれ自分が成し遂げたいことができない。だからエンジニアに負けないプロデューサーが必要だと思い自分がやると決めました」

四半期に一度の代表面談で、代表の熊谷に思いを伝え、能島はプロデューサーとしての道を歩みはじめました。年功序列という言葉はなく、手を挙げれば任せられる、そんな環境がエニセンスにはあります。

サービスを生み出すことから成長させるフェーズへ

福岡本社は利便性のよい天神一丁目の開放的なオフィス

福岡本社は利便性のよい天神一丁目の開放的なオフィス

黎明期を経て、ユーザーに評価されているアプリをひとつのシリーズとしてブランド化することにしました。その中のひとつが「My日記」です。2015年時点ですでに30万ダウンロードを突破していたアプリで、初期開発者は鐘ヶ江でした。

鐘ヶ江「当時はいろんな日記アプリはあったんですが、スケジュールと日記が一緒になっていたりして、日記単体ではありませんでした。日記を書きたい人だけのアプリを作ろうと思ったのがきっかけですね」

デザインも一新し、2015年4月に生まれ変わったのがmyAppシリーズです。ユーザーファーストで機能改善を行い、2017年9月時点で250万ダウンロードを突破するサービスに成長しました。ふたりのこれからの展望は——。

能島「エニセンスが生み出したサービスで、会社を作っていきたいです。サービスごとに分社化する感じ。会社を肥大化させることなく、いつまでもベンチャーでいたいです。僕にとっては、いつまでもチャレンジャーでいられる環境が大事なんですが、エニセンスにはそれがある。個が成長することも大事で、成長した個が集まると強い組織になる。そんな組織にしていきたいですね」

鐘ヶ江「最新のAndroidの機能を使って時代の先をいく機能を作ってみたいですね。そういった新機能をすぐに取り込めるのは自社サービスの強みでもあるので。ゆくゆくはMy日記がgoogleのアプリアワードに載るのが夢です」

エニセンスの行動指針「個性のミカタ」の「学ぶ」の章にはこう書いてあります。

“——個性を活かすために学習を止めない。成長は自分だけのものではない。自分の成長が、仲間の成長も刺激する。——”

エニセンスは、指示がなければ動けない人には向いていない職場かもしれません。集団の中での自分の役割が何なのかを考え、自ら仕事を作り出せる人。「自分の仕事はここまで」と自分の物差しで決めるのではなく、垣根を越えていける人。私たちはベンチャーマインドをもった集団でありたいと思っています。

Text by PR Table